IDEOSのバッテリーが、電源OFFでも発熱&消耗する。

タイトル通りの症例。3日ほど前から突然発症。
私は元々IDEOSをテザリング用にしか使っていなかったので、「使わない時は機内モードテザリング時に通信ONテザリングON」という使い方をしていた。これだと、機内モードで放置なら1日経っても5%も減らないくらい、電池が長持ちしていた。それが、数日前に突然、異常な速度でバッテリーが減っていることに気付いた。はじめは「テザリングが入りっぱなしだったのか?」と考え、機内モードにして放置してみたが、それでも凄い勢いで電池が減っていく。何が何だかわからないので、電源を切っておいて後で調べようとしたら、電源OFFでも微妙に発熱していることに気付いた。その状態でしばらく放置すると、バッテリーを使い切って電源が入らない状態に。再度、充電→機内モードで放置や、充電→電源OFFで放置、ソフトウェアリセット(設定メニューの中にある「携帯を初期化する」、だっけ?)をした上で再度放置、等、試してみたが結果は同じ。
どう考えても異常な現象だよなあと思いちょこちょこと検索をかけてみると、いくつかそれらしき情報が引っかかった。中には「電源OFFでも消耗」というほぼ同様の現象もある。

http://kaneko-yasu.seesaa.net/article/187777219.html
http://blog.livedoor.jp/mattarisan_jp/archives/51709270.html
http://d.hatena.ne.jp/sgrmatha/20110212/1297516639
https://twitter.com/#!/Ichosann/status/97341082836287488

IDEOS本体の問題なのか、バッテリーの問題なのかわからないが、何にせよメーカー行きは確定か。日本通信に連絡してみるしかないのか。しかし先日PocketWifiを手に入れてしまったのでイマイチ腰が上がらない感じ。IDEOSはほとんどテザリング用にしか使ってなかったからなあ。
何か進展があったら追記します。


※続き書きました→ IDEOS 初期不良交換の顛末 - kameniwaの雑記帳

初音ミク『FREELY TOMORROW』に対してほとんどなんの感情も湧かなかった理由を延々と考えていた。


【調教すげぇ】初音ミク『FREELY TOMORROW』(完成)【オリジナル】:http://www.nicovideo.jp/watch/sm15172108
これを初めて聴いたとき、凄い!とは思ったんだけど、感動が全くなかった。それが自分でも不思議だったので、今まで聴いてきた「神調声」な楽曲を聞き返しながら、その理由を考えていた。
以下、聞き返しながらそれぞれの楽曲に受けた印象、感想を書き連ねていく。




【UTAUで】けんか別れ【連続音音源を検証】:http://www.nicovideo.jp/watch/sm7808787
あくまで人形である。人に似せることを指向しているのではなく、優れた合成音声を求めている。
「人形」




【カバー】GUMIで「STEP TO YOU」:http://www.nicovideo.jp/watch/sm11382892
優れたGUMIであろうとしている。
「人形」




【カバー】GUMIで「君の知らない物語」【supercell】:http://www.nicovideo.jp/watch/sm8899411
ヒトを手本にして、GUMIが歌っている。あくまでGUMIである。
「人形」




【カバー】mikiで「君の知らない物語」【supercell】:http://www.nicovideo.jp/watch/sm9173955
GUMI版よりも、より「mikiであること」が強調されている気がする。癖が強い所為なのか?これ単品で聴いても感動しなかったかもしれない。それまでの間に、mikiが好きでmikiの曲をよく聴いていたからこそ、この調声が飛び抜けていることが解って感動したんじゃないか?と、聞き直していて思った。
「人形」




初音ミクAppend】Os-宇宙人を歌ってもらった【電波女と青春男】:http://www.nicovideo.jp/watch/sm14990520
人を真似る人形。初聴きでは「!?」ってなりっぱなしだったが、2度3度聴くと「とても人の真似が上手いミク」であることが意識できる。恐ろしく元の人に似てるので、真似る元があって初めて成り立つ感動、である可能性が高い。
「人形」




【カバー】猫村いろはで「君がいる場所」【高垣彩陽】:http://www.nicovideo.jp/watch/sm13656104
いろはは好きだけど、いろはの曲自体が少ないので、「俺の中のいろは」ができあがってるわけじゃないのだが、それでも、「これはいろはが歌っている」と認識している。
「人形」




mikiで スカイクラッドの観測者 【カバー】:http://www.nicovideo.jp/watch/sm9085786
初めて聴いたときは確か、それほど感動はしなかったと記憶している。うん、凄いな、という感じで。そのあと比較版を聴いて「!?」ってなった。mikiであることよりも、人をトレースすることの方が主目的なんじゃないだろうか
「人間」




そして問題の曲。




【調教すげぇ】初音ミク『FREELY TOMORROW』(完成)【オリジナル】:http://www.nicovideo.jp/watch/sm15172108
なんで人が歌わなかったのか。ミクである必要性が解らない。「元曲は?」「なんでミクなの?」「元は誰が歌ってたの?」「元とどれだけ似てるか聞かせて欲しい。」そんな感想がどんどん出てきた。

とにかく感覚的な話で、誰かに共感をさせられるとも思えないのだが、僕にとって"FREELY TOMORROW"は、初音ミクである必要性が何処にあるのか解らない曲のようだ。しかも、なまじ神調声であるが故に余計にそれが際立っている。ミクのための曲ではなく、曲のためのミク。


今の僕は、ボカロ、UTAU等、キャラクター付きの合成音声曲を聞き続けるうちに、キャラクターに対する思い入れというか、合成音声という種族に対する思い入れが強くなりすぎているのではないかと思う。人の代替としての合成音声にではなく、合成音声であることそのものに対して価値を見いだしている。だから、人の代替として扱われている合成音声を見る(聴く)と、「その子に歌わせるくらいなら人に歌わせれば良いじゃないか」と思うようになってしまっている気がする。


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少し別の話


もはやHANASUをやってみようとした形跡すら残ってない:http://www.nicovideo.jp/watch/sm11979939
これ、モモだけだったら「あれー?」って感じになってたかもしれない。デフォ子さんとテトの強烈な個性が思いっきり残ってるせいで、「人間をトレースしてるはずなのに人形側」という現象が起こってる気がする。


purplink | tsukimachilabel
purplink by inktrans | tsukimachilabel:http://tsukimachilabel.bandcamp.com/album/purplink
デフォ子さんの、どうあがいても人のものではない声を、人ではないままに最大限に生かす、その到達点の一つじゃないかと思っている。
デフォ子さんの為にある、デフォ子さんにしか歌えない歌。


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一連の聴き直しで感じたこと。
Ciel(神無月P)さんには独特のものがある気がする。
全体的に優しい感じがして、人の真似をさせようとしているのではなく、その子に歌わせようとしている印象がある。「如何にボーカロイドに感情を持たせるか。」そんなことを考えながら調整しているのではないだろうか、と。そう感じた。

昔々、まだブログなんて概念もなく、RSSもはてなアンテナすらも無く、個人サイトをWWWCで巡回するようなそういう時代の話。

その頃の僕は親を騙…説得してISDNを入れていたので、学校から帰って暇さえあれば四六時中ネットでイラスト、漫画系のサイトを巡回してたんだけど、そんな頃、魔法少女系の二次創作を漁っていたら、とあるロリ陵辱系の絵描きさんのサイトに行き着いたんだ。
その頃から既に和姦至上主義者だった僕としては、初見でかなり、生理的と言っていい拒否反応を自分の中に感じたんだけど、しかしそれでも、その人の作品にはどうにも魅力があって、僕はその人のサイトを巡回リストに入れることにしたんだ。
その人の作品は総じて、とても可愛いのにそれだけで終わらず、その裏側に暗く陰鬱で酷く残虐な、ドロドロした物が横たわっているような感覚があったんだ。僕は多分そういう所に魅力を感じていたんだと思うけど、それでもやっぱり陵辱系のネタは好きになれなかったので、その人が2割くらいの確率で描く和姦系のイラストだけを、大切に保存していたんだ。

そんな感じで、つまみ喰うようにその人のサイトを巡回すると共に、その人がイラスト以外にたまに書く、日記やエッセイのようなものも目にする内に、その人が自分自身を嫌っている様だということがわかってきた。
はっきりとは書き表してなかったので始めは気付かなかったんだけど、その人は、自分自身に対するとても強い嫌悪感を抱え込んでいるようだったんだ。

そうしてその人の作品と出会ってから1年ほどたった頃、その人サイトは突然消失し、その後の足取りは全くわからなくなった。今のように検索をかければ何でも出てくる訳でもなく、そのサイトを潰して、さらにペンネームも変えられてしまっていればもう、その人を追う手段は何処にもなかった、そういう時代だった。
消えてしまったこと、それ自体はショックではあったけど、同時に僕は、ああ、やっぱりそうなるんだな、とも思った。

きっとあの人にとって、自分の作品は、どうしようもなく生み出さざるを得ない物で、でも自作の絵を見ることは、嫌いな自分を直視することにもなる、そういう行為だったんじゃないかな。その頃の僕はそう思った。真相はあの人自身にしかわからないけれど。

そしてそれから5年ほど経った頃。
あの頃とは全く別ジャンルの同人畑で、ばったりその人の作品と再会したんだ。
始めはわからなかった、少し画風が変わっていたからかな。でも、何となく違和感というか、なんだかどこかで見たことがあるような気はして、うーんと考えながら一枚二枚とその人のイラストをめくっていった時、あの頃とほとんど変わらない、ロリ陵辱系のネタが出てきたとき、あ、あの人だとはっきりと気付いた。と同時に、こうも思ったんだよ。ああ、やっぱりそうなるんだな、と。

やむにやまれず描くしかない、作るしかない人。自分の業を直視しながらそれをえぐり出すように紙に叩きつける人。そういうタイプの人は、一度、いや何度筆を折ったとしても、描くことをやめることは出来ないんだろうと、僕はそう思うんだよね。
そして、そういう人が生み出す作品には、何か怨念、情念とでもいうのか、無理矢理にでも見る人の心にねじり込むような強い力があると、僕はそう感じていて、そういう作品が僕は好きなんだ。
「売るために描かれた作品」「エロで儲けたい系の同人」「それである必要が無い作品」、そういう類の作品に、僕があまり魅力を感じないのも、きっとそういうことなんだと思う。

ひとことで言い表すと、こうなるのかな。
「売るために描くのではない、描くために売るんだ」
そういう作品が僕は好きなんだと。



ちなみに余談だけど、この5年後の再会の頃には、僕にはそうするに充分な財力があったので、その人が参加するイベントに出かけて、彼のブースに足を運んだよ。ブースには既刊新刊あわせて6種類ほどの薄い本が並んでいたけど、その中でかろうじて和姦と呼べる物は1冊しかなかった。僕はかつてのように、その1冊だけを譲り受けて、大切に持ち帰った。

「柔らかなプルス」を読んで思ったこと

注意

「亜麻色トワイライト」を読んだ当初の感想

2011年01月17日(月) のツイートより

僕は恋愛をした事がないから、現実の世界で同性愛がどれくらい忌避されているのか理解できてないな。なんかもうずいぶん前から、物語の中で同性同士で好き合ってても何の疑問も持ってないし。"そっちの気"とかの単語が逆に新鮮に感じる。
posted at 22:30:14

よくよく考えたらヨコハマ買い出し紀行のラストって百合的に考えてもスゲーよなあ、リアルタイムで読んだ当初は全然気づいてなかったけど。
posted at 22:41:11

亜麻色トワイライトを読んでいるとヨコハマ買い出し紀行のラストが連想されるんだよな。妹紅と慧音は里の人間とは違う船に乗ってる、妹紅と慧音も、違う船に乗ってる。
posted at 22:46:06

里の人間は船に乗っていて、慧音はそれを浮かべる海に居て、妹紅はその海を湛える水底にいる。だれも共には居られない。
posted at 22:46:37

「女の子同士なのに変だよね?メソッド」がイマイチ理解できなくなったのって、僕自身が将来的に男を好きになる可能性を否定しなくなったからかも知れないな。僕が誰かを好きになったとき、それが「世間様」から非難されるとしたら、いのは絶対に「世間様」だ。そう思うようになったから。
posted at 22:53:08

亜麻色トワイライトを読んでいるときの違和感の原因を考えて、これがもし学園百合モノだったら、と考えたら違和感が無くなった。つまり僕の中で、制服とは常識による抑圧の象徴であり、幻想郷とはあらゆる枷のない世界として捉えられているという事だろう。
posted at 23:20:48

「亜麻色トワイライト」を読んだときに感じた違和感

慧音は「普通の女の子」なんだから

  • 妹紅にそんな感覚があるのだろうか?
    • 人でない妹紅だからこそ、「人であること」を失って欲しくない、「普通」である事を失って欲しくないと思ったのではないか?
  • 慧音も既に充分「人でなし」だと思うが。
    • 妹紅ほどではないよ。妹紅から見れば充分に人だ。

私に執着していたのも昔からその気があったせいなのかしら

  • 人でない姫がこんな台詞言うかなあ
    • バカが移った。
    • 月人と言っても穢れているから、人の様な台詞も吐くさ。
  • でも姫が「女同士である事」をおちょくるような感覚を持ってる気がしないんだ。
    • それこそ妹紅をからかうためだけに吐いた台詞なんだろうさ。実のところ欠片もそんな事思ってないんだろう。リンゴを落とせば割れる、ならばリンゴを割るためには落とせば良い、以上。そんな感覚で、妹紅をおちょくるためにはこの台詞を吐けば良い、実行した、怒った、以上。そういう感覚だった、とか。
      • まあおちょくるというか焚きつけるって言った方が正しいんだろうけど。
  • その台詞で妹紅がカチンとくるのがいまいちわからない。慧音をこちら側に引きずり込む事を恐れる、と言うのはわかる。しかし自分が外れている事を茶化されて怒るかな?
    • そこは要考察だな。お前への恨みと一緒にするなとか、お前にとって私はその程度なのか、と思ったとか、なんか解釈出来そうな気はするが。

「柔らかなプルス」を読んで腑に落ちた事

つながることはできない

  • 「女同士である事」における重要な事を忘れていて、それに気づかされた気がした。
    • 著者はたぶん、両者にある寿命という断絶を表現したんじゃないかと思うが。
      • いやまあ俺は女じゃないので本当のところはよくわからないけども。
  • 共に居る事を選んだ。寿命は違う、性別の組み合わせも「普通」ではない、決してひとつになる事は出来ない。それでもなお、共に居る事を選んだ。
    • 答えは出ないだろうな。慧音が死んでも、妹紅が摩滅しても、答えは出ないだろう。

でも、やるんだよ。

感想とは別の話

  • 人と人との断絶ってどうしようもない気がするんだ。肌を重ね合わせても、相手が気持ちいいかどうかなんてわからないし。近づけば近づくほど、二人である事の断絶をより強く認識するだけじゃないのかな、と。

もっと別の話

  • 台詞・横書きモノローグ・四角囲いモノローグ、が同時進行という漫画作法は少女漫画の派閥なのかな。とかふと思った。まあ百合ジャンルではよく見かけるし、おそらくBLでもそうなんじゃなかろうかな。

時間遡行者暁美ほむらと、ワルプルギスの道化達


疑問:「やり直す、という願いはそう簡単には叶わない気がするのに、何故ほむらはそれを叶える事ができたのか?」


推論:
魔法少女としての素質=因果の量、とするならば、病に伏せるほむらを助けようとしてきた人々の因果を、ほむらは背負っていたために、常人よりもその量が多かったから、とするとどうだろうか。非常に強力な魔女であったシャルロッテが、元は癌患者の少女だったと考えられるように、手厚い治療を施され[た/ている]少女の素質は、常人のそれよりも強大になる。
魔女エリーが、超新米かつ素質も貧弱な魔法少女さやかに瞬殺されたのは、エリーが引きこもりの少女だった=因果の量がほとんどなかった=魔法少女としても魔女としてもたいしたこと無かったから、とも考えられる。


/////


疑問:「インキュベーターは何故、ほむらを時間遡行者と見抜いたのか?」


推論:
インキュベーターは過去にも、時間遡行者にあった事があるのはないだろうか。
人は誰しも一度は思う、あの日あのときに戻れたらと。これを前提とすると、「やり直したい」という願いはそれほど特殊ではないものになる。その願いがエントロピーを凌駕するかは、その少女ごとの素質(背負い込んだ因果の量)に依存するため、願いの全てが叶ってきたわけではない。しかし、ごくありふれた願いであるが故に、それを叶えようとした少女の絶対数が、他の願いに比べて多いため、必然的に、時間遡行者が生まれる確率は増えた。
そう簡単には叶わない、やり直したいという願い。それでも、有史以前から魔法少女を生み続けてきたインキュベーターは、ほむらに会うまでにも少なくない、それを叶える少女達に出会っていた。当然、彼女達の魔女にも。


/////


疑問:「時間遡行者が生み出す魔女は、どれほど強大なのだろうか」


推論:
やり直す事で願いは叶うだろうか。
「それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出す事になる」というインキュベーターの言を是とすれば、やり直しの叶った少女達は、そのやり直しによって果たしたかった本当の願いは叶わなかったのではないだろうか。何度繰り返してもまどかを守れなかった、ほむらのように。
背負い込んだ因果の量が、多ければ多いほど、魔法少女の力は強大になる。やり直す事ができるほどの因果を以て成った魔法少女達が、決して叶わぬ本当の願いのために、何度も繰り返し続けることで、少女達はさらに因果を背負い込む。
魔法少女になった後に背負い込んだ因果の量が、その少女が生み出す魔女を強大にするかは明言されていないが、もしこれを是とすると。彼女達が生み出す魔女は、他の魔女とは比にならぬほど強大なものになるだろう。
それこそ、ワルプルギスの魔女のように。


/////


疑問:「ワルプルギスのサーカスで踊る道化達は、なぜ魔法少女のような姿だったのだろうか」


推論:
ワルプルギスのサーカスで、道化として踊る魔法少女達の影。歯車のように回り、繰り返す遡行の中で、「やり直す」という願いの奥にあった本当の願いが、決して叶わない事に気付いた少女達の影。自らが道化であった事を、インキュベーターに突きつけられた少女達の影。
それはほむら自身の影でもあり、己の影には決して勝てない。


/////


ワルプルギスはほむら自身であり、時間遡行者暁美ほむらによって成された超越者であるまどかが、その手で救うにふさわしい魔女、それこそがワルプルギスだった。

鏡像としての神まどかとグレートヒェン、もしくは物語から結末を無くす方法の模索

グレートヒェンは魔女化を望み、神まどかは消滅を望む。
グレートヒェンの裾野には消滅する世界があり、神まどかの裾野には魔女化する世界がある。
グレートヒェンは世界から消滅を奪い、神まどかは世界から魔女化を奪う。
双方の世界の魔女化と消滅の総量が反転すると、その意味も反転し、グレートヒェンと神まどかの意味も反転する。
これらは神まどか/グレートヒェン発生の時空点を中心に点対称に、全ての時空に対して広がっているため、時空の内部から観察すると、魔女化する世界には神まどかが現れて消滅を与え、消滅する世界にはグレートヒェンが現れて魔女化を与えるように見える。


元々ひとつの球形の世界だったのに、暁美穂村が弦を張って真ん中をくびれさせたので、そのくびれの裏表にグレートヒェンと神まどかが出現し、双方にそれぞれの世界ができた。


観測者を時空の外部に置いて固定した視点から見ると。
力尽きた魔法少女まどかを膝に抱き泣き叫ぶ三つ編みメガネほむらを中心軸として、グレートヒェンと神まどかが双方からそれを抱き、グレートヒェンと背中合わせに、右手に銃を、左手を胸に盾を構えるコマンドーほむら。神まどかと背中合わせに、左手に弓を、右手を胸に弦を引くリボンほむら。コマンドーほむらの銃口はワルプルギスに、リボンほむらの鏃は魔獣に。
そんなイメージ。


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ただ、このイメージだと、主観時間で魔女化世界から消滅世界へ横断したほむらが何なのかわからなくなるんだよな。
魔法少女まどか☆マギカ」のほむらは、魔女化する世界からまどかを救うためにあがき続け、結果、消滅する世界が生まれる様子を観測した。
ならば同様に、
魔法少女かなめ☆マギカ」のあけみは、消滅する世界からかなめを救うためにあがき続け、結果、魔女化する世界が生まれる様子を観測した。
とでもしておくか。

人の不幸を嘲笑うとか、人の幸せを妬むとか、やっちゃいけないことの基本だと思うんだけど、なんでそれを諫めるよりも、むしろ勧めるような言動がネットに溢れているのだろう。あなたの神はあなたにそれを禁じていないのですか?

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死を知っている人は、信仰心を持たずに生きる事は出来ない。あなたはいずれ死ぬ、なのに何故生きるの、と問われて返す言葉。それがあなたの信仰であり、宗教であり、正義である。

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あなたはいずれ死ぬ、なのに何故生きるの、と問われてどう返すか。先人の残した言葉や知恵は豊富にあるが、「真実は教えられて得られる物では無い」。知識を得ても最後には、自分で考えなければならない。

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では、「神」を、仏、宗教、正義、魂、心、命、等の言葉に置き換えてもいいです。あなたの本質は何ですか、その本質のために生きていますか。私はそう問いたいのです。

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あなたの本質が邪であるというなら、それはそれで良いんです。自覚しているなら。私の望みは、全ての人に気付いて欲しい、ということであって、全てに幸あれとは思っていません。

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死にたいと望むなら死ねば良い。ただ、死ぬ前にまず、自死こそが私の本質である、と、自覚すべきです。それが無いなら死ぬべきではありません。あなたの心を覗きなさい。そこに何があるかを見つめるのです。